阿弥陀仏のお約束の内容とは

Posted on 5月 11th, 2009 by longbeach in 阿弥陀仏の本願とは | コメントは受け付けていません。

阿弥陀仏は、すべての人を必ず絶対の幸福にしてみせる、と約束しておられます。
絶対の幸福とは、絶対に崩れない、捨てられない幸福のことです。

東京の高島平や千葉の常盤平など、都心近郊の団地として開発され、かつては憧れの的だったエリアが、30年を経た今、子供は皆巣立ち、独り暮らしの年配者が増え、孤独死の温床になっているといいます。
身寄りがなく起居もままならぬからと、役所を介して入居した老人ホームが悪質業者で、悲惨な生活を強いられている高齢者の実態が、NHKの番組でも紹介されていました。

わずか八畳間に男女の区別なく三人押し込められ、風呂にも入れず、食事は一日たったの200円。
入居者の生活保護費を狙い、介護報酬を国から取って、経費は極限まで切り詰め儲けを出す悪質ぶりには、ア然としました。

ある男性は「まるで、金を払って入る、現代の姥捨て山ですよ」と涙ぐむ。

家やアパートを引き払っているから、出るに出られない。
「身寄りがない、いられるだけでよい」という弱味につけ込む悪どい業者、それを把握せず仲介していた行政の欠陥が、浮き彫りにされていました。

死に物狂いで働き、日本の高度経済成長を支え、家族を養ってきたのに、その家族を失い、頼みの綱の国にも裏切られた悲嘆は、想像に余りあります。
会社に捨てられ、友人も去って、才能は枯渇、体力も気力も萎えてゆく。
オギャッとこの世に生まれ落ちてより、努力してかき集めてきたものが、年とともに奪われていく。
最後、死んでいく時には、丸裸でこの世を去っていかねばなりません。
これが人生というものならば、一体どこに、生きる喜びがあるでしょうか。何をしに、この世に出てきたのでしょうか。

「火宅(かたく)無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」(歎異抄)

やがて必ず「捨てられる」ものしか知らず、薄氷を踏む不安で毎日を送っている私たちをご覧になって、阿弥陀如来は、「すべての人を、絶対に裏切られることのない、大安心の身にしてやりたい」と、無上の願いを起こされたのです。
何と有り難いことではありませんか。

本願に誓われている「信楽」とは、その絶対不変の幸福のことであり、『歎異抄』にはこれを「摂取不捨の利益」といわれているのです。

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