阿弥陀仏と諸仏の関係

Posted on 6月 16th, 2010 by longbeach in 阿弥陀仏とは | コメントは受け付けていません。

前回まで、阿弥陀仏の「アミダ」の意味について大まかに述べてみました。次に「本師本仏」ということについて、少し詳しく触れてみましよう。
「弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば」(御文章2帖目8通)
と教えられる通り、阿弥陀仏は三世十方の諸仏(大宇宙のあらゆる仏)の本師本仏であると説かれています。このように聞きますと、仏のさとりにランクがあるの?と思われる方があるかもしれません。そこで仏とは何かということから確認していきましょう。
仏とは「覚者(覚れる者)」ということで、しかもこの「覚り」には「自覚、覚他、覚行、窮満」の意味があるとされます。すなわち、自ら覚るとともに他人を覚らしめなければならず、その覚りの所作に欠けるところがなく、円満されたものでなければならない。いわゆる、自利利他満足されている方を申します。では、阿弥陀仏と諸仏はどう違うのでしょうか。
自覚とは、宇宙の真理を覚証された方をいいますが、迷いを重ね流転を続ける我々を哀れに思召して何とか救済しようと立ち上がってくださるのですから、仏の本意は自覚よりも、むしろ覚他にあるといえるでしょう。しかるに阿弥陀仏以外の諸仏は、その覚りは自覚のほうが主体で覚他が主になってはおりません。それに対して、阿弥陀仏のみは覚他を主として、その因位の願行もひとえに覚他の外にはありませんでした。ですから諸仏の覚りを説く時は、いずれもただ抽象的に真如の妙理に合った、いわゆる理知冥合の点ばかりを力説されますが、阿弥陀仏の覚りを説く時には、人格的に、その覚他のいかに広大深遠なるかが強調されるわけです。

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