阿弥陀仏の「アミダ」2

Posted on 5月 19th, 2010 by longbeach in 阿弥陀仏とは | コメントは受け付けていません。

 前回から、阿弥陀仏の「阿弥陀」の二種の解釈について記しています。もう一度、繰り返しますと、一つは「アミダバハ」といって光明無量の智慧と訳し、もう一つは「アミダユス」といって寿命無量の慈悲と訳されます。いわゆる阿弥陀仏の二大お徳「光明無量」と「寿命無量」ですね。
 前回は、無量光について、阿弥陀仏の広大な威徳を讃嘆した「十二光仏」のお話をしていました。十二光はいずれも阿弥陀仏の異名となっていますから、阿弥陀とは光明であることは明らかでしょう。
「光明」は「智慧」を意味することは、『唯信鈔文意』などに、これも親鸞聖人が明示されています。そのご文を挙げてみましょう。
「阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧の形なりと知るべし」(唯信鈔文意)
 また、阿弥陀を「不思議の仏智」とさえ呼ばれています。
 このような実相を徹見する真実の智慧があれば、必ず真実の慈悲心が発動することを、『浄土論註』に曇鸞大師は、「実相を知るをもっての故に、則ち三界の虚妄の相を知る。衆生の虚妄を知れば則ち真実の慈悲生ずる」と説かれています。「真実の智慧は、必ず真実の慈悲心を発動する」。このフレーズは、覚えたいところですね。
 さて次に、無量寿とは、文字の通り「量りなき寿命」ということで、仏の光明がいかに強力であっても、線香花火のように瞬時に消え失せるようなものでは、何にもなりませんから、それが無量寿に維持されればこそ、阿弥陀といわれるのだということですね。
 ここまで、阿弥陀仏の二大お徳について大まかではありますが、説明しました。

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