親鸞聖人の拝まれた阿弥陀仏とはいかなる仏さまか、まず、『一念多念証文』でお聞きしてみましょう。
『一念多念証文』には、「一如宝海より形をあらわして法蔵菩薩となのりたまいて、無碍の誓をおこしたまうをたねとして、阿弥陀仏となりたまうが故に、『報身如来』と申すなり、これを『尽十方無碍光仏』と名づけたてまつれるなり、この如来を『南無不可思議光仏』とも申すなり、この如来を『方便法身』とは申すなり、『方便』と申すは、形をあらわし御名を示して衆生に知らしめたまうを申すなり、すなわち阿弥陀仏なり」と示されています。
また『唯信鈔文意』には、「しかれば、仏について二種の法身まします。一には法性法身と申す、二には方便法身と申す。『法性法身』と申すは、色もなし形もましまさず、しかれば心もおよばず語もたえたり。この一如より形をあらわして『方便法身』と申す、その御相に『法蔵比丘』となりたまいて、不可思議の四十八願を発しあらわしたまうなり」と述べられています。
今、真理としての仏、法性法身の弥陀は私たちには判りません。この法性法身の水が、大悲やるせなく衆生かわいいの風にゆられて顕現したまうのが、方便法身の波。すなわち真如の徳から、法蔵菩薩という姿になって本願をおこし、大行を修して阿弥陀如来という方便法身なる仏となられたというのが、聖人の味わわれた阿弥陀仏であることが知られます。