信心獲得(阿弥陀仏に救われる)とはどんなことか。蓮如上人は、『御文章』五帖目五通に、次のように教えられています。
「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。この願を心得るというは、南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり」
阿弥陀仏は、四十八の本願を建てられていますが、その中で弥陀が本心を誓われているのが十八番目の願、第十八願です。弥陀が「すべての人は極悪人である」と見抜かれた上で「〝南無阿弥陀仏〟を与えて、必ず絶対の幸福に救い摂る」と誓われているお約束が十八願です。『御文章』には、
「それ、十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて、捨て果てられたる我等如きの凡夫なり。然れば、ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なれば、久遠実成の古仏として、今の如きの諸仏に捨てられたる末代不善の凡夫・五障三従の女人をば弥陀にかぎりて、「われひとり助けん」という超世の大願を発して」(御文章二帖目八通)
とあります。
大宇宙の仏方も、何とか我々を助けたいと思われたが、あまりに罪悪が重く、救済を断念された。私たちは諸仏に見捨てられたのです。ちょうど病気で町医者に行ったところが、検査してみるととても重い。「うちでは治せない、大きな病院に行ってくれ」と言われ、大病院に行ったが「私の力では無理です」とやはり断られ、ついにすべての医者に見放されたようなもの。しかるに諸仏に捨てられた者ならなお、私が助けてみせる、と、ただお一人立ち上がってくだされたのが阿弥陀仏なのです。そして、すべての人を必ず絶対の幸福に救う、という無上の誓願を建立してくだされたのですね。信心獲得とは、その誓いどおりに現在ただ今、絶対の幸福に救い摂られて、「本願まことだった、本当だった」と知らされたことで、それを「第十八の願を心得る」といわれています。
それは破闇満願の大功徳のある〝南無阿弥陀仏〟の名号を弥陀から丸もらいして、「無上甚深の功徳利益であった」とハッキリしたことですから、「南無阿弥陀仏のすがたを心得るなり」とも言われています。と、いいましても「南無阿弥陀仏」とは何ぞやと思われるかもしれません。阿弥陀仏が作られた名号について次に述べたいと思います。
阿弥陀仏と第十八の願
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