阿弥陀仏の「必ず絶対の幸福に生まれさせる」のご念力

Posted on 6月 7th, 2009 by longbeach in 阿弥陀仏とは, 阿弥陀仏の本願とは | コメントは受け付けていません。

絶対に色あせることも崩れることもない幸福が、絶対の幸福であり、歎異抄には摂取不捨の利益と教えられています。

しかし、そう聞くと私たちは、「摂取不捨の利益?そんなもの本当にあるの?」「絶対の幸福になんかなれるはずがない」などと、本願を疑います。
中には「絶対の幸福なんて夢物語、ユートピアだ」「脳内現象じゃないか」「どうせ特殊な宗教体験だろう、自分とは関係ない」と怪しむ人もありましょう。

そこで阿弥陀仏は、「十方衆生」のその疑いを晴らして、「絶対の幸福」に救い摂るために、「正覚」(仏の覚り)の命を懸けて誓われているお言葉が、
「若不生者(にゃくふしょうじゃ)不取正覚(ふしゅしょうがく)」(若し生まれずは、正覚を取らじ)
の8字です。

これは、阿弥陀仏の本願、漢字36文字の一節です。

「正覚」とは「仏の覚り」のことであり、仏覚は仏さまの命ですから、これは、
「もし『信楽(しんぎょう:絶対の幸福)』に生まれさせることができなければ、命を捨てる」
といわれているお言葉です。

阿弥陀仏が命を懸けて、私たちを「必ず絶対の幸福に救う」と誓われているのが、「若不生者(にゃくふしょうじゃ)の誓い」なのです。

卑近な例えで言うと、銀行でローンを組む際、こちらの返済能力を疑う相手の疑念を晴らすために、土地や建物を担保に入れるでしょう。

阿弥陀仏は私たちの、「本当に助かるのか」の疑心を晴らすために、自身の命を担保に、
「平生ただ今、必ず絶対の幸福に生まれさせる」
と誓われているのです。

このように、阿弥陀仏のお力で絶対の幸福に救われたことを、信心決定(しんじんけつじょう)とか、信心獲得(しんじんぎゃくとく)と言います。

この絶大な「若不生者のご念力」によって、平生の一念、疑心が晴れわたり、必ず「信楽」に生まれる時が来るのだよと、親鸞聖人は生涯、教え続けていかれたのです。

若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは
往生かならずさだまりぬ
(親鸞聖人)

親鸞聖人が、どんなご生涯を送られた方か、親鸞聖人のお歌といって、親しみやすく歌で教えられたものがありますので、その歌を通じて学んでみられるのもよいですね。

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