お釈迦さまの説かれた仏教は、阿弥陀仏の本願一つを教えられたものです。
そのことについては、これまでの内容でお話してきました。
なぜ阿弥陀仏の本願一つなのか?
これは、阿弥陀仏とお釈迦さまの関係でもハッキリわかることです。
阿弥陀仏とお釈迦さまは、例えて言うなら、師弟の関係にあります。
阿弥陀仏を師匠とすれば、お釈迦さまは弟子にあたります。
弟子の使命は、先生の御心を正確に、一人でも多くの人にお伝えすること以外にありませんから、弟子であるお釈迦さまも45年間、自分の師である阿弥陀如来の本当に願っていられる御心、阿弥陀仏の本願以外、教えてゆかれませんでした。
親鸞聖人の「唯説弥陀本願海」(唯、阿弥陀仏の本願一つを説かれるためであった)の断言にうなずかずにおれません。
「仏教」とは、弟子であるお釈迦さまが、先生の弥陀如来の本当に願っていられる御心一つ、生涯教えてゆかれた教えであることが、お分かりになると思います。
お釈迦さまが、阿弥陀如来の本願一つを明らかになされたように、親鸞聖人90年の生涯も、阿弥陀仏の本願以外には教えられたことはありませんでした。
そして、親鸞聖人の教えていかれたことを、今日、そのままお話しされる高森顕徹先生もまた、阿弥陀仏の本願一つを説いておられます。
お釈迦さまは、阿弥陀仏の本願一つを教えていかれたことを、前回、紹介しました。
仏教を説かれたお釈迦様も、阿弥陀仏という仏さまも、共に仏さまですが、世間一般では、レッテルが違うだけで、同じ仏だろう、と思われているようです。
しかし、お釈迦さまと阿弥陀仏とはまったく違う仏さま。その違いを知らないと、仏教はどれだけ聞いてもわかりません。
お釈迦さまと阿弥陀如来には、どのような関係があるのでしょうか?
今回は、そのことについてお話ししましょう。
お釈迦さまは、今から約2600年前、インドで活躍なされた方です。
お釈迦さまが、35歳で仏という最高の覚りを開かれてから、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、教えていかれたみ教えを、今日、仏教といわれます。
地球上でただお一人、仏の覚りを開かれた方ですから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と言われます。
そのお釈迦さまが、「私の尊い先生を紹介しに来たのだよ」と、私たちに教えて下されたのが、阿弥陀如来といわれる仏様です。
阿弥陀如来と釈迦如来(お釈迦さま)との関係について、蓮如上人は、『御文章』に次のように仰っています。
「ここに弥陀如来と申すは、
三世十方の諸仏の本師・本仏なり」
お釈迦さまは、地球上では唯一の仏さまですが、大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、無数の仏がましますと説かれています。
それらの仏を「三世十方の諸仏」と言われているのです。
有名なのは、大日如来とか、薬師如来、奈良の大仏はビルシャナ如来といわれる仏ですが、それらも皆、十方諸仏の一人です。
本師本仏とは、師匠であり先生ということですから、大宇宙の仏方の先生ということ。
これはお釈迦さまが説かれたことですが、親鸞聖人も明らかにされ、蓮如上人も仰っているのです。
弥陀如来は、十方諸仏の先生であるということは、大宇宙の仏方はみな阿弥陀仏のお弟子ということです。
地球のお釈迦さまも、十方諸仏の一人ですから、阿弥陀如来と釈迦如来の関係は、師匠と弟子、弥陀如来を先生とするなら、お釈迦さまは生徒、ということになります。
お釈迦さまだけでなく、大宇宙のすべての仏方は、阿弥陀仏のことを「偉大な仏様だ、尊い仏様だ、我らの先生だ」と讃め称えて、手を合わせ拝まれているのです。
親鸞聖人も、阿弥陀如来のことを無上仏、「最高の仏さま」と仰がれています。
阿弥陀仏という仏さまは、仏教を説かれたお釈迦さまが私たちに教えて下された仏さまです。
そのお釈迦さまの説かれたことは、すべてお経に書き残されています。
では、お経には何が教えられているのか、7000巻余りのお経を、何度も読み破られた親鸞聖人の言葉に学んでみましょう。
「如来所以興出世
唯説弥陀本願海」
これは、親鸞聖人の書かれた正信偈の一節です。
(親鸞会発行の正信聖典ではP11に掲載されています)
「如来、世に興出したもう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんがためなり」
と読みます。
如来とは、仏と同じ意味の言葉です。ここでは、お釈迦さまのことを指します。
世に興出したもう所以は、と言われているのは、お釈迦さまがこの地球上にお出ましになられ、仏教を説かれた目的は、ということ。
「所以」とは、「目的」ということです。
「唯説」とは、唯一つのことを説かれたのだ、という親鸞聖人の断言です。
七千冊以上ものお経があって、45年間もお釈迦さまは教えを説かれたと聞けば、仏教にはいろいろのことが教えられているのだろう、と思うのも当然です。
しかし、七千冊余りもの仏典を何度も読まれた親鸞聖人は、「お釈迦さまの説かれたことは、たった一つのことなのだよ」と断言しておられます。
お経の99%を読んだ人でも、こんな断言は出来ません。あとの1%に、どんなことが説かれてあるのかわからないからです。
では、そのただ一つのこととは何であったのでしょう?
それは、「弥陀の本願」である、と正信偈に親鸞聖人は書いておられます。
弥陀の本願とは、阿弥陀仏の本願のことです。
「弥陀の本願」とは、「阿弥陀如来という仏さまが、本当に願っていられる御心」のことで、それは大変広く深いので海にたとえて「本願海」といわれています。
あれだけ膨大なお経に説かれてあることが、阿弥陀仏の本願ただ一つというのは驚きですね。
親鸞会では、そのお釈迦さまがただ一つ明らかにされた阿弥陀仏の本願について、高森顕徹先生が毎月の法話会で話をされています。
阿弥陀仏は、仏教で教えられる仏様のお一人。
そのお名前はよく耳にしても、いったいどんな仏様なのか、知る人は少ないようです。
阿弥陀仏とは、どんな仏さまなのでしょう?
仏教を説かれたのは、今から約2600年前、インドで活躍なされたお釈迦様です。
お釈迦さまは、35歳のとき、数ある悟りの中でも最高の仏の悟りを開かれました。
そして、80歳でお亡くなりになられるまでの45年間、仏として教えを説いていかれました。
その45年間の、釈尊の教えを、今日、仏教と言われます。
2600年も昔、インドで説かれたお釈迦さまの教えを、どうして今、私たちが知ることが出来るのでしょう?
それは、釈尊の説かれたことは、一切経となって、すべて書き残されているからです。
お釈迦さまが、どんなことを教えられたのかを知りたければ、この一切経を読めばわかる、ということですね。
でも、お経は全部で7000巻余りもあります。
一日一巻ずつ読んでも、およそ20年はかかる、という膨大な数のお経です。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、7000余巻の一切経を、何度も何度も読まれて、
「お釈迦さまの教えられたことは、これ一つなんだよ」
と正信偈(しょうしんげ)に書き残しておられます。
正信偈とは、親鸞聖人の書かれたもので、浄土真宗の方であれば、朝晩、お仏壇の前に座って読んでいる、という方も多いと思います。
あの「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)、南無不可思議光(なむふかしぎこう)……」で始まる有名な正信偈です。
親鸞聖人がどのようなお方であったのかは、わかりやすく歌で教えられた親鸞聖人のお歌があります。
親鸞聖人が、「お釈迦さまが説かれたことは、これ一つ」と断言された正信偈の言葉については次回、紹介しましょう。
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